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新撰組局長 近藤勇 の世直し
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 日本聖公会京都教区に対して、審判廷の開廷が申し立て

られたそうだ。内容は、あのH司祭の準強制わいせつ行為

に関することなのだが、日本聖公会京都教区はその申立書

を受理したそうだ。拙者は、受理しないのではないかと思っ

ていたが、日本聖公会京都教区はそこまで愚かではなかっ

たようだ。もしかすると、主教会から何か言われていたの

かもしれない。


 この件に関しては、土方さんや沖田にもメールを出した

のだが、いまだに連絡が来ていない。これでとりあえず、

日本聖公会京都教区は審判廷を開廷しなければならなくなっ

た。審判廷を開かずに「時効」を決定することは出来ない。

それとも、民事訴訟法の規定にある最高裁判所の「却下」

と同じことをしてくるだろうか。拙者としてはそれをして

欲しいような気もする。そして、今日取材に来ていたとい

うテレビや新聞がそのことを報道してくれれば、今度は世

間が黙っていないだろう。何しろ、少なくとも6人以上の

女性(その内の5名は少なくとも被害を受けた当時は女児

だった)に対する性的虐待行為を行った人物が、今も京都

市内にいるのだから、ある意味では非常に危険な状況にあ

るということだ。


 そうした状況の中で、日本聖公会京都教区がH司祭に対

する審判廷を開廷しないということになれば、H司祭はそ

のまま京都市内で安穏に暮らしていくことが出来るように

なってしまう。すでに、H司祭の居所は公然となってしまっ

ているようだが、拙者が知る限りでは、近所には小学校も

中学校もある。しかも、京都市内であれば、匿名性は極め

て高いだろう。児童に対する性的虐待行為をした人間の再

犯性は、他の犯罪に比べると高いことが明らかになってい

るし、ヨーロッパやアメリカではこの種の犯罪者に対する

人権の制限が行われるのは当然のことだという見解が強く

なっているという。


 H司祭は現在、まったくの野放し状態だという。山嶽党

が京都市内を公然と歩き回っているようなものだと言う者

さえいる。また、退職金の支給に関して、それが法律に抵

触しないというのは大きな問題だとしている新聞社もある

らしい。鞍馬天狗にもこのことを連絡しようとしたのだが

電話が通じない。誰か、天狗の携帯番号をご存じの方がい

らっしゃったら、天狗に拙者にすぐに電話するように伝え

ていただきたい。この審判廷の開廷申立てを日本聖公会京

都教区がどう考えるか。そして、その判断を日本聖公会が

どう考えるか。日本のキリスト教界にとっても実に大きな

問題だ。

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 あの正体不明のブログ、今朝メールが来ていて初めて知っ

た。それにしても、独特の言い方をする人物だ。「『京都

の影』の著者は『しかも、糾す会の方が日本聖公会の信徒

であることをよくご存じのようです。』と書いていますが、

だって、糾す会のHPやblogに彼らは聖公会の信徒だって書

いてるんだから、私は素直にそう信じて書いているのです

が。」と記している。前半は、書き言葉調なのだが、途中

から話し言葉調になり、最後は書き言葉調で終わっている。

そして、「被害者(とされる人が、具体的に誰であるか、

そして具体的に何をされたか)を私は知る立場にないが、

もし『糾す会』のHPやblogに記されている『強制猥褻』行

為が過不足無く事実であるとするなら、全くこのエロ牧師

のやった行為はゆるしがたく、被害者となった女性の苦し

みは気の毒と思います。」とも記している。「被害者(と

される人が、具体的に誰であるか、そして具体的に何をさ

れたか)を私は知る立場にないが」とも記している。実に

奇々怪々な表現だ。被害者の代理人(公証人役場で代理人

契約を正式に結んでいる)のホームページを読んだり、あ

るいは「糾す会」のホームページを読んだら、被害状況に

関してある程度は知ることが出来るが、あのブログの設置

者は、「被害者(とされる人‥‥‥」と記している。被害

者が被害を受けたことを事実として認定した高等裁判所の

判決を認めたくない人なのだろう。


 また、被害者に関して「女性として、普通に感じるこの

ような行為に対する嫌悪感を、心身の成長とともに強く意

識するだけでなく、さらに加えてキリスト教それも聖公会

やカトリックなどの伝統的な会派での(他会派や他の宗教

に比べてより強い)性的な行為に対して潔癖さを幼い頃よ

り教育をされ、その上でその教育により植えつけられた価

値観と反する行為を、その価値観を教えられ幼い頃より尊

敬し従っている人から受け、言葉を抑圧されたのです。」

とも記しているが、キリスト教界とはまったく縁のない人

だったらこうは書けないだろう。「キリスト教それも聖公

会やカトリックなどの伝統的な会派」散っているところを

見ると、日本聖公会に関係のある人々だろう。他教派の人

がこう書くことはないだろう。日本聖公会はアポストリッ

ク・サクセッションを主張しているが、T.クランマーが

J.カルヴァンの影響を受けていることは間違いないよう

に思える。M.ルターの影響だという人々もいるが、39

ヶ条の内容は、基本的には大陸の改革派的な神学のように

思える。


 彼らが、聖公会(アングリカン・チャーチ)の優位性を

主張する時、よく見られることなのだが、イギリス聖公会

が女王を頂点とした国教会であることがその根底にあるこ

とは見えている。日本聖公会の多くの教会の看板には、英

国国教会の流れを汲んでいるということを彷彿させる表現

が見られる。それでいて、各国の聖公会は独自の組織を保っ

ているということがあるが、ローマ・カトリック教会とプ

ロテスタント教会の間でまるで蝶のように勝手気ままに飛

び回っているのではないのか。日本聖公会京都教区のウイ

リアムス神学館には、現在、他教派の牧師だった人が学ん

でいるようだが、彼は他教派でかなり長いこと牧師をして

いた人物ではないのか。「聖公会は神学で一致しているの

ではなく、祈祷書で一致している」と、ある日本聖公会の

有名な神学者からお伺いしたことがあるが、何故彼を神学

館で再教育する必要があったのか。確か彼は、あの教派の

神学校で5年間学んでいた人ではないのか。


 牧会歴もかなりあると聞いているが、日本聖公会はどの

ように考えているのだろう。そして、もうだいぶ以前にな

るが、ある教区で人権侵害問題から日本聖公会を離れた司

祭がいたと聞いている。彼は、あの神学生(現在は3年間

の学究生活を終えたそうだが)がかつて所属していた教派

の牧師になった。あの教派と日本聖公会がフル・コミュニ

オンの関係にあるわけではないから、このこと自体は問題

にならないが、39ヶ条の原文さえ持っていない司祭が多

いという日本聖公会で、彼を再教育する必要があったのか

どうか。聞くところによると、日本聖公会の司祭の中には

あのアポストリック・サクセッション(使徒継承)が史実

であると信じ切っている人々がいるようだが、それを証明

できるだけの資料が残っているのだろうか。


 H司祭は、あのウイリアムス神学館で「説教」学を教え

ていたそうだが、毎週、その主日の聖書日課の厳密な聖書

釈義をして、説教の準備をしている司祭が、日本聖公会の

中で何割いるのだろう。聞くところによると、土曜日の夜

になって説教の準備をしている司祭が多いそうだが、牧師

としての職務のもっとも大事な部分を、その程度にしか考

えていないのだろうか。


 あのブログの設置者は、日本聖公会の聖職者である可能

性が高いと考えている。「聖公会の信徒」ではないと何回

か記しているが、確かに「信徒」ではないだろう。しかし、

聖職者である可能性は十分に考えられる。「私は聖公会信

徒および聖職者はすべて消えて欲しいと切望します」と書

いているが、あのブログの設置者が教会関係者であること

は「信徒」という用語を使っていることだ。キリスト教と

はまったく関係のない人々は、「クリスチャン」とか「信

者」という言葉を使うことが圧倒的に多い。ある意味では

「信徒」という用語はキリスト教内部の表現であることが

多いのだが、自分の立場を隠そうとして書くのであれば、

こうしたことにも気を使った方がいい。そして、他人が使っ

ている言語表現を真似するときには、それを十分に吟味し

た上で使わないと、他人の表現をオウム返ししていること

にしかならないということも、しっかりと認識した方がい

い。そして、「大爆笑」という言葉を連呼したら、それが

作為的なものだということがはっきりと露見してしまって

いることも認識すべきだ。

 支離滅裂でありながら、その言語表現の行間から、あの

ブロガーがH司祭である可能性を否定することが出来ない。


 最後に、新撰組はすべて、他教派の聖職であることだけ

は教えておこう。日本聖公会京都教区の性的虐待事件は、

日本聖公会京都教区だけでなく、他教派の教会にも大きな

迷惑をかけていることを認識して欲しい。


 日本聖公会京都教区というのは杜撰なものだ。教会会計

と幼稚園会計が一体化していたそうだが、税法上は独立し

た法人ではないのか。そして、園長である司祭が、教会と

幼稚園から給与を受けていたとしたら、確定申告をしなけ

ればならないのだが、源泉徴収票はそれぞれの法人から出

されなければならないはずだ。しかし、会計が一体化して

いたら、どうやって二つの源泉徴収票を園長である司祭に

渡していたのだろうか。所得税の関係だけは、それぞれの

法人が記録していたのだろうか。


 一体化しているいうことは、間違いなく会計帳簿は一冊

だろうから、それをどうやって学校法人と宗教法人を区別

していたのだろう。監事さんは会計帳簿を見たことがある

だろうから、そのあたりを詳しく書いて欲しいのだが、一

部には「会計帳簿がない」という噂もある。これがもし事

実だとしたら、税法上、大きな問題になるのではないだろ

うか。そして、給与から天引きした所得税をきちんと保管

しているかどうか、それも問題になってくる。国税庁だけ

でなく、文科省も宗教法人には気を使っているようだ。し

かし、税金に関しては、教会も寺も神社も同じだ。宗教法

人から報酬を受ければ、そして、その宗教法人が源泉徴収

対象事業所になっていれば、当然、個人への給与は源泉徴

収をしなければならない。


 宗教法人と学校法人の会計が一体化していたことは、法

人法上の問題だけでなく、税法上の問題もあるのではない

だろうか。キリスト教会の牧師の中には、いまでも、宗教

法人は免税だから、聖職も免税だと思っている人がいる。

「坊主丸儲け」という言葉があるが、一般人も宗教専従者

は所得税を納めていないと思っている人がいる。宗教専従

者であっても、領収書を切っていようがいまいが、確定申

告時にはその収入を記入しなければならない。結婚式や葬

式の司式をしたことに対する謝礼は「贈与」ではないから、

すべて申告しなければならないのだが、日本聖公会の聖職

はこれをしているだろうか。贈与に関しても、最近になっ

て下限があがっているが、一定額以上の贈与があった時に

はそれも申告しなければならない。


 宗教法人である教会会計と学校法人である幼稚園会計が

一体化していたということは、こうした税法上の問題でも

あるだろう。もしかすると、日本聖公会の聖職者は、名前

が学校法人○○幼稚園と変わっただけで、実態は宗教法人

立幼稚園だという意識が強すぎるのではないのか。だから、

1980年頃に管区総会で「学校法人化問題」で混乱した

のではないのか。S幼稚園の場合は幼稚園が先にあって、

その隣に後から教会が建てられたようだが、学校法人にな

れば、その財産は宗教法人から切り離されなければならな

い。これは、第20条第1項に「信教の自由は,何人に対

してもこれを保障する。いかなる宗教団体も,国から特権

を受け,又は政治上の権力を行使してはならない。」とあ

るのだから、宗教法人の幼稚園を国が援助することに、国

は慎重でなければならないが、宗教法人とは別の学校法人

であれば援助することは可能だとされ、あの時代に多くの

宗教法人立幼稚園が「学校法人化」したのだろう。しかし、

こうしたことが理解されていないから、学校法人会計と宗

教法人会計が「一体化されて」いても、当該教会の牧師は

何の問題も感じていなかったのではないのか。杜撰さの根

元は、こうした無知によるものであろうかとも思えるが、

一体化することによって得をしていた人間や法人がいなかっ

ただろうか。


 昨夜、気になることがあって、友人に電話で話をしてい

た。インターネット電話だと、1時間話をしていても電話

代は168円しかかからない。京都と江戸で話をしていて

もだが、便利になったものだ。携帯電話は24時間、手元

に置いておくことが出来る。それだけ情報が迅速に伝わる

だけでなく、メールなどは一瞬にしてかなり多くの人々に

届けることが出来る。


 日本聖公会京都教区の事件は、一般紙では大きく取り上

げられたことはないようだが、インターネット上にはかな

り多くの情報がアップロードされている。最近は特に、性

的虐待の加害者であるH司祭に、700万という高額の退

職金が支払われ、それが請求されていた慰謝料と裁判費用

の合計金額に近い数字だということが明らかにされてしまっ

ている。しかも、この退職金の支給を決定したS幼稚園の

理事会記録に疑問点もあるらしい。それだけではない。こ

の園長退職金の決定をした時点の理事長は、園長も兼務し

ているH司祭自身だった。そして、退職金支給が決定され

たとされる理事会が開催されたのは、高等裁判所の判決が

言い渡される前の月だったという。判決言い渡し日を明ら

かに理事長兼園長であったH司祭は知っていたと考えられ

るから、退職金支給の目的がどこにあったかは歴然として

いる。しかも、この高等裁判所での控訴審は、女児に対す

る長年の性的虐待行為の慰謝料請求だった。聞くところに

よると、理事会のほとんどのメンバーは、地裁でのH司祭

の勝訴は知っていたが、控訴審が行われていることを知ら

されていなかったとされている。


 控訴審判決がどのようなものになるかの予測を、理事長

であるH司祭は弁護士から聞かされていたことは間違いな

いと思われるので、理事長としてH司祭は、園長を兼務し

ている自分自身に退職金を支給することを提案し、それが

理事会によって承認されたという。そして、この理事会の

メンバーの中には、日本聖公会京都教区のK主教が含まれ

ている。高等裁判所での判決言い渡しの翌日付けで、H司

祭を京都教区内の他の教会に転任させることを決定してい

たのだが、このK主教が2005年3月30日の高等裁判

所の判決がどのようなものになるかという予測を知らなかっ

たとは到底考えられないし、H司祭がS幼稚園を辞任する

する3月31日という日付も、転任命令を出したのはK主

教自身であるのだから、当然知っていた。


 ここまで明らかになれば、H司祭とK主教が何を考えて

いたかがはっきりとしてくる。そして、どうやって慰謝料

と裁判費用を捻出しようとしたかも歴然としている。これ

だけのことをしていながら、K主教はどこまでその罪責感

を持っているか。H司祭は、自らの過ちをどれだけ悔いて

いるか。日本聖公会の主教会は、真剣に調査し、このこと

に関して冷静な判断をされるべきであろう。そして、日本

聖公会の他の聖職者達は、日本聖公会の教会に集う信者さ

ん方のために、事実を正確に伝え、いままでの沈黙を改悛

し、神の赦しを祈り求めるべきであろう。


 昨夜書いた、「世界キリスト教情報」のサイトのURL

は、下記のものに訂正します。2007年7月のページに

入り込んでしまうURLでした。

 最新号は、下記のURLでアクセスして下さい。

 http://cjcskj.exblog.jp/

 ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。

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