一昨年、日本聖公会京都教区の主教座聖堂で開かれた、
管区小審判廷の閉廷後に起こったという「殴打」事件の
証言に、いくつかの矛盾点があることに気が付かされて
いるが、TERAさんのブログに書かれてあることを天狗に
確かめるために電話してみた。彼奴は、こうしたことに
気が付くのが早い。学生時代から、様々な議論をし続け
てきただけあって、相手の言っていることの矛盾点をす
ぐに見抜くことが出来る。
後ろの窓ガラスの光が影響していて、右手に持った鞄
を振り上げるところは見えたが、振り下ろすところはまっ
たく見えておらず、「バーン」という音でそれが被害者
に当たったと、証人の一人は判断したようだ。しかし、
2009年11月16日の天候からすると、あの窓ガラ
スから入ってくる光が、それほど強いものであったとは
考えられない。
拙者も気象庁のサイトで確かめたが、あの「殴打事件
があった日の、京都の午後の日照時間は「0」になって
いるし、天気も「◎」になっている。つまり、雲量が9
以上であったということなのだろう。建物の北側にある
扉の窓ガラス、それも向こう側は建物の外に面している
わけではないガラスから、部屋の内部の様子が分からな
くなるほどまぶしい光が射し込んでいたとは考えられな
い。それも、そのガラスは磨りガラスだという。どのよ
うな磨りガラスかは分からないが、一般的に言われてい
る磨りガラスの窓から眩惑される程の光が射し込むこと
はほとんど考えられないし、繰り返すがあの扉の向こう
側は建物の外ではない上に、あの建物の玄関は北向きに
造られている。
こうしたことは実況検分したらすぐに分かることであ
るし、常識的に考えてもあり得ないことだ。日本国内で
太陽が頭上を越えて北側から差し込むことがあるのは、
沖の鳥島以外にはない。それも、夏至を挟んで短い期間
だけにとどまる。これも小学校で習ったことだ。それを、
二人の証人が同じように証言していると言うことが不思
議でならないのだが、この二人の証人は、あの礼拝堂の
ある敷地内の「隣どおし」の所に住んでいると証言して
いるそうだ。次回以降の公判がどのように進んでいくの
か、実に気になる。新撰組の中にも傍聴しに行きたいと
口にしている者がいる。