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新撰組局長 近藤勇 の世直し
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> 【投稿】   一受信より、2010年4月27日
>
> 日本聖公会京都教区主教・高地敬主教は、裁判所に調停を
>
> 申請したことによって、既に、自らが教区主教であること
>
> を放棄したと考えられます。教会は、国家の裁判所をも越

> えて出来事を判断しなければなりませんし、歴史上の教会
>
> の多くはその道を歩んできました。
>
>  日本聖公会の管区や主教会がこのことに気が付いていな
>
> いはずがありませんが、それでもなお沈黙し続けていると
>
> すれば、 主教会自身もまた自らが主教(アポストロス)
>
> であることを放棄したとしか考えられません。
>
>  裁判所の調停は日本の法律に基づいた調停の場ですが、
>
> しかし、教会の中での和解はそうした国家の法律によるも
>
> のではなく、キリストの福音に根ざしたものでなければな
>
> りません。正にそれは、愛(アガペー)の御業がこの世で
>
> 成就することです。
>
>  高地主教の文書の中の”ウソ”を指摘するまでもなく、
>
> 調停申請そのものが、高地主教自らがその職務を放棄した
>
> ことにしかならないと考えられます。これは日本聖公会に
>
> 限らず、キリスト教会であれば、聖書の御言葉からすれば、
>
> どの教派にも言えることだとかんがえています。調停申立
>
> を取り下げない限り、日本聖公会京都教区は、キリスト教
>
> 会であることを放棄したとしか言えないのではないでしょ
>
> うか。


 このメールは「糾す会」が発信した、「糾す会」への投稿

であろうかと思われるが、今朝になって、拙者の所に転送さ

れてきた。誰が書いたのか、おおかたの見当は付くが、ここ

まで書けるからには、一般の信徒でないことは誰でも判る。

そしてその内容に関して、拙者も同じことを考えている。日

本聖公会京都教区主教が、こともあろうに被害者との和解を

裁判所に調停を申し出たことは、ある意味で前代未聞のこと

だ。被害者が日本聖公会の教会員ではないのならば別だが、

被害者は間違いなく、堅信礼を受けている日本聖公会の信徒

だ。そのご家族も信徒だ。そして、日本聖公会の主教は原則

として、教区内の信徒を司牧する。だとしたら、聖職者が信

徒との和解を、裁判所に調停を依頼するということなど、キ

リスト教会史上あったと考えているのだろうか。


 日本聖公会の主教になるためには、日本聖公会もしくは、

「アングリカン・コミュニオン」にある司祭でなければなら

ないはずなのだが、司祭は管区の聖職試験に合格しているは

ずだから、京都教区の主教もその聖職試験に合格したのだろ

うが、日本聖公会ではどのような試験をしているのだろうか。

おそらく、京都教区主教は、この裁判所への調停申請が持っ

ている、教会として重大な過ちに気が付いていないのだろう。

あるいは、主教は何をしてもいいという、大変な誤解をして

いるのかもしれない。これは、日本聖公会の教区が勝手に判

断したことなのだろうか。日本聖公会の主教会や管区も了承

したことなのだろうか。このことに関して、今日の午後、天

狗と話をしたが、天狗も「信じられないことだ」と話してい

た。日本聖公会では、教会と国家の関係に関して議論してこ

なかったのかもしれないが、あまりにもお粗末すぎる。


 イギリスの国教会では、祈祷書を改訂するにも国会の決議

がいるから、日本聖公会はそれと同じように考えたのだろう

か。しかし、日本聖公会は日本の法律で宗教法人になってい

る日本の教会なのだ。そして、日本聖公会もまた靖国神社に

関して、それが国家護持されることを反対してきたのではな

いのか。そう言えば、あの性的虐待行為を女児にしていた司

祭は、在職中に自民党の候補者の選挙事務所に幼稚園の教諭

を手伝いに行かせて起きながら、あの地区の「九条の会」の

設立総会でスピーチをしたそうだが、教会と国家の問題など

考えたこともないのだろう。「糾す会」は日本キリスト教協

議会(NCC)に、裁判記録のメモを送ったらいい。NCC

の議長は、いま日本聖公会の司祭がしている。だから、それ

に対する対応次第では、NCCレベルで問題になるだろう。

戦争と平和や女性の人権に対して、NCCはかなり積極的に

発言してきた。


 日本聖公会は裁判所への調停申請で、自ら暗闇の中に迷い

込んだことになる。司牧者がその信徒と和解できずにいるこ

とを管区も主教会も放置したことになるだけではなく、国家

にそれを依頼したのだから、自浄能力がないというレベルの

問題ではないだろう。日本聖公会がキリストの教会であるこ

とを止めるのか否か、という問題なのだが、管区や主教会に

それが考えられるだけの神学的一致があるかどうか。正に、

この抱腹絶倒の出来事を彼らはどう解決するつもりなのか。

PTSDを発症している被害者の思いを彼らはどう考えるの

だろうか。まさか、「伝統あるイギリス国教会系の」日本聖

公会は、国法など無視していいと考えているわけではあるま

いが、結果としてそう考えていることになりはしないだろう

か。腹を抱えた手が、怒りに震えてくる。

 

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