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新撰組局長 近藤勇 の世直し
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 少し前に沖田と別れたが、昨夜の天狗のところでの話は

実に面白い話し合いだった。ここに書くからには、勿論、

日本聖公会京都教区に関することなのだが、ことに、現在

裁判中の「殴打」事件に関して、日本聖公会京都教区は何

を考えているのだろう。証人の証言に関するメモを天狗た

ちともう一度検証してみた。実に不思議なことを証人は証

言していることは、既に何人かがブログで書いているが、

そうした不思議な証言だけを根拠に地検が起訴するはずは

ないだろうから、検察での証言と裁判での証言に食い違い

があることは間違いないだろう。


 冒陳を聞きに裁判所へ傍聴に行くべきだったと、いまさ

らながら後悔している。加害者とされる司祭は、その証言

によっても逮捕され、その後送検された後、数ヶ月間も拘

置されていたのだが、逮捕されたらあの性的虐待事案の被

害者関係者の代理人である司祭は、黙り込んだり、自ら身

を引いたり、あるいはあの司祭が所属する教区が審判廷を

開いて停職処分にするとでも考えたのだろうか。何しろ、

あの「殴打された」と言っている「被害者」はかつて、文

書を渡すために「糾す会」の方々がその勤務先へ行っただ

けで、「糾す会」の方々を警察に通報したことがある。そ

の理由は「不審者」というっことだったと、公判でも証言

しているのだが、あの「被害者」である司祭は、その数ヶ

月前に、あるところで2時間ほど「糾す会」と面談をして

いるにも関わらず、「糾す会」の方々を「不審者」だと証

言した。拙者は2度ばかり、「糾す会」の方とお会いした

ことがあるが、どう見ても「不審者」という言葉とは遙か

にかけ離れた人物である。


 あの証言は地方裁判所の法廷での証言であるから、非常

に重大な意味を持っている。その「重大な」ということは

被害者があの性的虐待事案に関して問題提起をし続けてき

た方々をどのように見ているかということを的確に表して

いることである。日本聖公会京都教区は、あの性的虐待事

案が明るみになって以降、その当初だけは、真剣に対処し

ようとしたが、その後は一転して、性的虐待はなかったと

言い出している。そして、慰謝料請求裁判では、あの「被

害者」は、性的虐待事案の裁判の原告には「妄想癖がある」

とか「精神疾患がある」と主張していた。それを追求して

いる「糾す会」の方々を「不審者」と言い放ったことは、

あの被害者はいまだに自らの過ちを悔いていないというこ

とになる。


 日本聖公会の管区、もしくは主教会は、そのことだけで

も、あの「被害者」である司祭を何故、召喚して査問しな

いのだろうか。性的虐待を行っていた当時は現職だった牧

師(司祭)をかばい続けたのも、「糾す会」の方々を「不

審者」だと証言した司祭だった。そして、あの性的虐待の

司祭の言葉を信じていたのだからという理由で、管区の小

審判廷では、懲戒申立が却下されているのだが、あの司祭

はいまだに悔悛していないから、「糾す会」の方々を「不

審者」と証言したのではないのか。幼児・児童への性的虐

待がどれほど大きな犯罪であるかということは、現在は世

界中でそれが確認されている時代だということを、ほとん

ど認識出来ていないのだろうが、だとしたら、日本聖公会

の管区もしくは主教会が徹底的に悔悛させるべきことでは

ないのだろうか。この裁判の判決の如何によっては、「日

本聖公会」という文字が、多くのジャーナリズムで目にさ

れることになるだろう。恥の上塗りがまた行われそうだ。

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