日本聖公会の法憲法規は飾り物のようだ。ある教区で
は、選挙なしで教会委員や教区代議員が決められていた
そうだが、知り合いに電話で確かめたら、当選ラインに
2名が並んだ時に、片方の人が司祭から「引き下がって
下さい」と蔭で言われたそうだ。決選投票をするのが当
然なのだが、その司祭はそれを知らなかったのかもしれ
ない。もしかすると日本聖公会では、それが「英国国教
会の伝統」なのだろうか。
審判言い渡しの期日を、審判申立人に一方的に通告し
てきたとのメールが転送されてきたが、これも「英国国
教会の伝統」なのだろう。近代史民社会における民主主
義の基本的な原則など、どうでも構わないのだろうが、
女性の人権やオキナワ問題ではずいぶん声を上げていた
聖職者達がいたように思えるのだが、彼らは何故沈黙し
ているのだろう。女児に対する性的虐待行為は、人権に
関わる問題ではないのだろうか。社会的・政治的問題を
立身出世のための道具として使っていたのだろうか。だ
としたら、それを信じていた人々への裏切りであるし、
「右翼」というレッテルを貼られ、苦しんだ人々に対し
て、どのように弁解するのだろう。
20世紀末の頃から、所謂「サヨク」が増えた。何で
もかんでも反対する人たちだ。そして、そうしたサヨク
を上手に「連帯」させた人々がいた。しかし、そうした
人々は決して表には出てこない。そして、いつの間にか
社会的・政治的問題には口を噤んでしまった。その理由
が何であるかは誰にも判らないだろうが、70年安保闘
争を越えてきた拙者達の世代には、手に取るようによく
判る。同じように生きた連中がいたからだ。同じような
ことは、明治維新の時にもあった。長岡や会津は最後ま
で裏切らなかった。しかし、奥羽列藩同盟を結んでいた
藩の中には、籠城している同盟藩を見捨てた連中がいた
ことも事実だ。
日本聖公会にも何故か知らんが、そうした人物がいる
ということが聞こえてきている。いざとなったら、自分
の身を守ることしか考えない連中だ。そして、肝心なと
ころで姿を消す。確かに、1970年前後にも同じよう
な輩は大勢いたが、それでも信念を貫いている人たちが
いま何をしているかを聞くと、素晴らしい生き方をして
いるとしか言いようがない。地位や名誉と経済的豊かさ
を求めた連中とはまったく異なっている。日本聖公会の
聖職者達は、一体どういう生き方をしようとしているの
か。主教になって、ふんぞり返ることを願っているのか。
それとも、退職後の悠々自適の生活を求めているのか。
日本聖公会から聞こえてくることは、ごく一部を除いて、
あまりにも悲惨な生き方ばかりだ。