日本聖公会は何故、しっかりとした判断が出来な
いのか、不思議で仕方がない。児童に対する性的虐
待行為は極めて重大な犯罪であることは、世界的に
認められていることであり、アメリカのローマ・カ
トリック教会では、一つの教区が破産するほどの慰
謝料を支払い、加害者だけでなく、責任者も退職さ
せている。にもかかわらず、日本聖公会京都教区は
幼稚園の園長に対する退職金として、請求されてい
た慰謝料や裁判費用と同じくらいの額を加害司祭に
支給してしまっている。
おまけに、この加害司祭に対する審判を申立が行
われたにもかかわらず、真におかしな理由でこれを
却下してしまった。被害者が特定されていないとい
うことが唯一の理由だそうだが、京都教区のK主教
はすべてを知っているし、被害者との面識もあるの
ではないのか。だとしたら、「被害者が特定されて
いない」ということは却下の理由にはならないはず
だ。主教としての秘匿義務を守っているということ
はそういうことだろう。審判廷を公開しても、被害
者の氏名や住所を秘匿することが出来るはずだ。そ
れが教会の聖職者のつとめなのではないのか。
日本聖公会は法治国家ということや近代市民社会
ということを理解していないのだろう。管区の審判
廷が同じように却下したら、加害司祭は「陪餐停止」
を解除されるのではないのか。もしそんなことをし
たら、他の教派の多くの聖職者達は、日本聖公会の
対して大きな不信感を持つことだろう。児童に対す
る性的虐待行為をした司祭を、教会法で裁けないの
だから当然のことかもしれない。まして復職などと
いうことが行われれば、児童に対する性的虐待行為
をどう考えているのかと、日本だけでなく世界から
問いかけられるだろう。
日本聖公会の管区がすべきことは、一つしかない。
それは、日本聖公会の『法憲法規』に従って、京都
教区で起こった事案をすべて、その責任者も含めて
管区の審判廷で裁くことだけだろう。でなければ、
あらゆる場面で『法憲法規』の重みが失われていき、
最後は『法憲法規』が完全に宙に浮いてしまう。そ
して、いままで築き上げられてきたものが、音を立
てて崩落していくだろう。それでも、日本聖公会が
加害司祭やそれを擁護した人々を裁くことなく、自
らの権威を主張し、教会であり続けようとすれば、
日本聖公会はキリスト教の仮面をかぶったカルト集
団でしかなくなる。