なかなか粛々とした審判廷だった。ことに、判決文を読
んだ審判長は、あの判決文を今日までに、何回も読み直し
ていただろうと思える読み方をしていた。それだけではな
い。それぞれの判決と、その判断と理由に関して、その内
容をかみしめながら、そして祈りを込めて読んでいらっしゃ
ったことに敬意を表したい。
京都教区の審判廷が申立を却下したことを、一つ一つ、
丁寧に解説して、高裁判決を誠実に受け入れなかった京都
教区の判断を非難していた。そして、被害者の御父上様の
発言も許可していた。それだけではない。「糾す会」の堀
江氏も発言することを許可した。ある意味では当然のこと
なのだが、それだけあの性的虐待事案に対する京都教区の
対応が稚拙であっただけでなく、間違っていたということ
を管区が認めたのだろう。
差し戻し審は、新しい主教が審判長になるか、他教区の
主教が京都教区を兼務し、補佐主教を任命して、その補佐
主教が審判長をすべきだろう。他の審判員も、全員が交替
しなければ、差し戻し審にはならない。これまでに、あれ
だけのことを発言してきた教区主教が、差し戻し審の審判
長を出来るはずがないし、常識的に考えればすべきことで
はない。主教のオーディネーションを受けていたとしても、
司祭職を継続できないわけではなかろう。少なくとも、京
都教区主教は、教区内の一司祭としてその職務をを全うす
べきだろうと思われる。
それとも、差し戻し審で、審判長である教区主教は、自
らにもペナルティを課すというのだろうか。児童に対する
性的虐待事案が、ここまで問題になってしまったのは、明
らかに京都教区の執行部と呼ばれるべき人々の責任である
ことは火を見るよりも明らかなことだ。教区主教に責任を
押しつけるだけではなく、歴代の常置委員もその責任をしっ
かりと自覚すべきであろう。加害司祭を復職させ、しかも
すべての役職に復職させたことは、被害者とその家族に対
する明らかな攻撃であったことも間違いなかろう。京都教
区は、管区の小審判廷の判断を誠実に受け止めるべきだ。