明日の午前11時から京都市上京区にある日本聖公会の
主教座聖堂とやらで、日本聖公会の管区の小審判廷が開廷
されるそうだが、他教派の人間は入れてもらえるのだろう
か。拙者も是非傍聴したいと思っているのだが、他教派の
人間は入れてもらえないかもしれないと思っている。何し
ろ日本聖公会だからな。自ら「プロテスタント教会の雄」
だと称しているから、拙者らのような俗人教会の教職者は
傍聴させてもらえないかもしれないと思っている。そうで
もしないと、他教派の教会に、あの性的虐待事案に対する
京都教区の対応が如何に異常なものであったかが明らかに
なってしまう。
一説では、性的虐待行為が明らかになった時の主教は、
児童に対する性的虐待行為の問題性をほとんど理解してい
なかったと言われている。だから、一旦「退職願」を受理
しておきながら、加害者である司祭本人の「事実無根」と
いう言葉をうまく解釈して、「退職願」を返還してしまっ
たとも言われている。ある教派では同じ様な問題が起こっ
た時に、すぐさま加害者を退職させ、遠隔地に転居させて
いる。その後、この加害者にどのようなケアをしているか
は知らないが、少なくとも性的虐待の再犯は行われていな
いようだ。しかし、日本聖公会京都教区の場合はまったく
それとは正反対の対応をしてしまった。そして、被害者と
そのご家族は教会を離れることを宣言してしまわれた。
日本聖公会管区小審判廷と言えども、キリスト教会の審
判廷であるのだから、このことの重大性を審判員はしっか
りと認識されているだろうと思われる。まして、被害者が
教会を去ってしまった中で、加害者を復職させる道を開く
ような審判をするとは思えない。もしそうしたことをする
とすれば、管区の小審判廷は、確定した高等裁判所の判決
を超えられるだけの証拠がなけれならないだろう。その証
拠を提示できない限り、あまりにも理不尽な審判を下すこ
とは、日本聖公会の各教会や関係諸団体に、多大なる迷惑
をかけることになる。
あと14時間ほどでで管区の小審判廷が開廷される。日
本のキリスト教会史上、初めてのことではないかと思われ
る教会法廷が開かれる。日本聖公会京都教区の審判廷は、
審判廷を開廷することなく、申立を却下してしまった。し
かし、その却下の理由が理由だけに、管区の小審判廷はそ
のことをも十分に考慮して審判廷を維持されるだろうと思
われる。一説では、京都教区への差し戻しが言い渡される
のではないかとも言われているが、時間が掛かれば掛かる
ほど、被害者とそのご家族の心の傷は深まるばかりだとい
うことを理解して欲しいと拙者は願う。一番大事なことは、
被害者とそのご家族の心の傷が癒されることではないのだ
ろうか。日本聖公会京都教区は既に、6名の被害者に対す
る性的虐待行為は事実であったと認めているのだから。