どのブログも静かになってるが、この静けさはある意味では
実に異様だ。嵐の前の静けさであるのか、それとも多くの者達
が日本聖公会京都教区を見捨てたのか。日本聖公会京都教区は
あの謝罪の記者会見ですべては終わると思っていたのだろう。
しかし、「糾す会」の代表の方が黙っていなかった。それが唯
一の救いだったのかもしれない。拙者が聞いている範囲では、
被害者のご家族は「糾す会」を信頼しているという。それなの
に、日本聖公会京都教区は、被害者とその家族は「糾す会」の
活動に対して「当事者でない者はどんなにでも騒ぎ立てること
ができるが、当事者はこの事件について考えるだけでもつらく
しんどい思いを持っている。流された文書を読んで励ましの手
紙をくれる人もいるが、それによってかえって家の中が暗くなっ
てしまう、、、」「審判廷への申し立て人の一人になってほし
いと、文書を流している人から頼まれたけれども、最高裁の判
決も出ていて、しかも審判廷はいわば教会の内輪の人間が行う
のであるから信用できない。それで、申立人になることは断わっ
た。その方には1月中旬に手紙を書いて今までのことについて
礼を述べ、もらった文書類も返した」などと暗に批判していた。
そして、2005年12月9日、あの謝罪の記者会見をして
おきながら、2005年3月に加害者に多額の退職金が支給さ
れていることを隠していた。本来であれば、あの謝罪の記者会
見において、新理事長名で退職金の返還要求をしておくべきだっ
たのだ。でなければ、あの謝罪の記者会見の「謝罪」は何の意
味も持たなくなる。いや、形だけの、ポーズだけの「謝罪」で
しかなくなる。
悲しいことだ。誰のための教会であり、誰のための幼稚園で
あるかがまったく見失われてしまっている。学校法人の幼稚園
の園長給がどれくらいであるかを知っている人は少ないだろう。
そして、園長が乗っているという高級車、車種は一体何なのだ。
まさかベンツやボルボあるいはBMWではないだろうな。少子
化の原因が、養育費ことに教育費の高騰にもあるということを
主張している方々がいらっしゃる。幼稚園の経費をどうしたら
下げられるか、どうしたら少子化を食い止めることが出来るの
か出来るのかということを、この園長は考えたことがないのだ
ろう。その車の燃費がそれほどいいとは思えない。修理しても
部品代が国産の大衆車とはかなり異なるだろう。
あの退職金は700数十万円だと聞いた。園児が70人いる
のであれば、一人あたり10万円である。そのお金でどれだけ
子供達のためのことが出来たことか。虐げる者達は虐げられる
人々の苦しみを理解できない。主イエス・キリストはどちらの
側に立っていらっしゃるのか。日本聖公会京都教区の上層部は
教会にとって一番大事なことを見失っている。羊飼いが道を誤っ
たら、羊は命を失うことがあるかもしれない。拙者ら新撰組に
とっては、日本聖公会京都教区のような教会を、教会だとは考
えないことにしている。それだけではない。こうした京都教区
の理不尽なあり方に対して何も発言しない日本聖公会の他の教
会をも教会として考えないことにした。
いま、土方氏のブログを読んだ。そして、裁判記録閲覧メモ
の写しと照合してみた。メモの字は稚拙だが、書き写している
内容は確認できる。このメモをそのまま書きたいのだが、指が
動かない。被害者はよくぞここまで書いて下さったものだ。こ
れがあるから、H司祭を糾弾できるし、京都教区の主教やS幼
稚園の理事長を糾弾できる。
「それが高校3年生まで続いた」とされているが、被害者が
高校を卒業したのは1991年になるのだろう。つまり、最初
に性的虐待が行われてから足掛け9年間にわたって性的虐待が
行われていたことになる。9年間、それが短いか長いかは誰に
でもすぐに判るだろう。その9年間の内、3年間、H司祭はS
教会に勤務し、S幼稚園に関わっている。即ち、S教会の司祭
が、S教会の牧師館で性的虐待を行っていたことになる。
あの「謝罪の記者会見」を開いている以上、京都教区主教や
S幼稚園の理事長は「被害者の妄想」とは言えないはずだ。例
の退職金支給の問題はこれで一件落着だ。即座に理事会を開い
てそれを決定するしかないな。でなければ、京都府庁が黙って
いないだろう。
誰がこのシナリオを考えたんだ。「S教会時代には性的虐待
をしていないから、退職金の返還要求はしない」とM理事長に
言わしめているのだからな。先に刀を抜かせておいて、後で留
めを刺す。こんなに気分のいいことはない。これで、誰がワル
かをみんなが見抜けただろう。しかも、相手の手に剣はもうな
い。そして今度は「減給処分」では済まないだろう。天誅とは
こうしたことだ。
S幼稚園の理事会に関して<祈りの有無>というブログに書か
れている。皆さんにも是非読んでいただきたいのだが、H司祭に
対して、幼稚園の園長辞任に伴う退職金の支給を決定した理事会
では、H司祭自身が理事長であり、H司祭が議長をしていたとい
う。しかしH司祭は退職金を支給される園長でもあるのだから、
通常は理事のどなたかに議長を譲り、この問題を審議する時だけ
は席を外すのが、一般的な会議の在り方であろう。こうしたこと
をこの理事長は知らなかったのか、それとも無視したのか。そこ
には実に大きな問題がある。
このH司祭は、女児に対する性的虐待の慰謝料請求裁判を起こ
されていた。そして、この理事会の一ヶ月後には高等裁判所の判
決が出ることを知らされていたと考えられる。判決公判の期日指
定は、少なくとも2ヶ月前には原告・被告両者に知らされている
はずだからである。つまり、園長=理事長=牧師(司祭)に対す
る退職金支給を決定した理事会の時点では、被告である理事長は
とうぜんのこととして、判決公判の期日を知っていたということ
になるのだが、このことを他の理事達はどれだけ認識していたか。
とりわけ日本聖公会京都教区の教区主教は理事の一人であるのだ
から、このことに関して報告義務があったのではないのか。
このS幼稚園の現在の理事長は、「法的には問題ない」として
いるらしいが、S幼稚園はS教会と密接な関係があり、S幼稚園
がS教会を創立した(逆ではない)という経緯があり、なおかつ、
学校法人としての約款にも抵触しているとの監事の指摘に対して、
沈黙してしまってる。(3月19日に行われた「糾す会」と監事
と理事長の会見時)
そしてこのS幼稚園の理事長も、理事の一人である日本聖公会
京都教区主教も、この理事会の時点では、一度も裁判記録を閲覧
していないだけでなく、この事件の本質に関する知識があるとも
思えない。こうした事案に対する加害者への対処の方法が、政府・
自民党が欧米の実状を調査しながら、真剣に考えているというこ
とさえ認識していないのだろう。被害者が最初に性的虐待を受け
たのは、被害者が小学校4年生の時だった。
そして何故か、この理事会は未だに、性的虐待による慰謝料請
求裁判の被告になっている理事長を園長にし続けていたというこ
とに関して、何ら話し合いは為されていないらしい。また、理事
会で議論されたことに中に、S幼稚園在職中にH司祭が性的虐待
行為をしていたかどうかの議論をしてたとのことだが、新撰組の
得ている情報では、S幼稚園在職中にもH司祭は性的虐待をして
いたという証言があることを突き止めている。前述のブログには、
「結論は返還するとも返還しないとも決めないと言うことになっ
てしまったそうだ」と書かれているが、おそらく近い将来、理事
会はこの問題を再討議しなければならない時が来るだろう。
今日は忙しかった。沖田や土方さんからだけではなく、京に住
んでいる様々な方々から問い合わせがあった。もちろんアエラに
記されていることでだ。悲しいことだが仕方がない。あそこには
日本聖公会だけでなく、別の二つの教団で起こった事件も書かれ
ている。一つは教会幼稚園の職員に対する性的虐待行為、もう一
つは、牧師の仕事を手伝っている女性に対する性的虐待行為だ。
この二つに共通していることは、どちらのケースにおいても相手
の女性が成人しているということである。しかし、日本聖公会の
事案では、被害者は小学校4年生から中学3年生までの間、性的
虐待を受け続けている。
刑法
第百七十六条
十三歳以上の男女に対し、暴行又は脅迫を用いてわいせつ
な行為をした者は、六月以上十年以下の懲役に処する。十三
歳未満の男女に対し、わいせつな行為をした者も、同様とする。
つまり、13歳未満の少女に対する性的虐待は、13歳以上の
女性に対する強制わいせつと質的には同じであると、刑法で規定
されていることになる。
そして、現理事長は、原田司祭は聖光幼稚園に在任中は何ら過
ちを犯していないとし、それ故に退職金の支給には問題がないと
しているが、聖光幼稚園に在任中にも性的虐待をしているという
ことが証明されたら、退職金の返還を要求するということなのだ
ろう。これだけの発言を引き出した「糾す会」と監事の方には敬
意を表したい。
聖光幼稚園に在任中に性的虐待を受けたという女性が現れ、原
田司祭が聖光幼稚園に在任中にも性的虐待行為をしていたことを、
現理事長が理事会が開かれた昨日の時点で知っていたとしたら、
現理事長は明らかに偽証したことになる。
一時は土砂降りの雨が降っていたが、京ではやっと雨が上がっ
た。雨がいつまでも降り続かないように、雨雲の間から星の瞬き
が見えてくるように、必ず真実が明らかになる時が来る。いや、
もう来ているかもしれない。土方さんはただそれだけを追い続け
てきたが、何やら新しい情報を入手したらしい。「上手の手から
水が漏れる」というが、隠し事をしておくことは並大抵の努力で
は出来ないものだ。現代風に言えば、情報の管理は極めて難しい
ということだ。コンピューターの世界で言えば、ペンタゴンのホ
スト・コンピューターにアクセスし、中身を書き換えておきなが
ら、何の足跡も残さずに出て来たのがいるくらい、情報を隠蔽し
ておくことは難しい。
ことがすべて発覚する前に、日本聖公会京都教区はすべてを明
らかにし、退職金の返還要求を出した方がいい。アエラという雑
誌にかなりのことが書いてあった。日本中のクリスチャンの間で
日本聖公会京都教区のことが話題になるだろう。あそこに書いて
あることは、間違いなく裁判記録に書かれてある通りのことだ。
あの記者はおそらく裁判記録を読んできたのであろう。「あんな
ことはしていない」とは言えない。何しろ、高等裁判所の判決が
事実として認めているのだ。それを覆せるだけの証拠がなければ、
「あんなことはしていない。事実無根だ。」などと言わない方が
いい。ますます墓穴を深くするだけだ。そして、最後には自分が
掘った穴から出られなくなる。