今日の京は初夏のようだ。
礼拝が終わって、ほとんどの信者さんはお帰りになった。あの
方々の中にも、日本聖公会京都教区で起こっていた性的虐待事件
とそれを隠蔽し続けてきたことを知っている方々が大勢いる。京
では、特にキリスト教会の中では既に有名な事件だ。当然のこと
だろう。小学生から中学生になる6年間もの間に、繰り返し性的
虐待行為をしてきた現職の司祭を、転任させる時に多額の退職金
を支給してしまっている。常識では考えられないことだ。しかし、
当該幼稚園の理事長は法的には問題がないと主張しているようだ
が、問題は二つある。
一つは、本当に法的に問題がないかどうか。原田文雄司祭が退
職金を支給されたのは2005年の春であろうと考えられるが、
その時にはまだ高等裁判所の判決は確定していなかった。しかし、
性的虐待による慰謝料請求裁判が提訴されたのは間違いなく聖光
教会の司祭であった時であるし、聖光幼稚園の理事長兼園長だっ
たはずだ。原田文雄司祭が園長になったのは、種々の情報からす
ると1993年の4月からのことであろう。裁判が提訴されたの
は2001年7月である。聖光幼稚園の理事長兼園長だった時な
のだが、このことに関して、現在の理事長はこう答えている。
糾す会:裁判中なのにそして翌月大阪高裁の判定が下ると言うの
によくもそれを考慮にいれず、支払いを決定し、実際に実
行したものですね。
宮嶋氏:法的には一切問題ないと解釈していますから、理事長と
しては動きません。返還の必要があるとは認めません。
糾す会:道議的には問題あるでしょう。
宮嶋氏:それは認めます。しかし、法的には問題なしで、17年
間の在職に対するものです。
監 事:道義的に問題ありなら、支払ってはいけません。
特にこの幼稚園はキリスト教主義の学校法人で約款にも
キリストの教えを全面に立てています。その目的を
逸脱している点では法規違反になりますよ!
宮嶋氏:「・・・・・・・・」
最後の部分の沈黙は、答えられなかったものと推察する。
これで、日本聖公会京都教区が原田文雄司祭の性的虐待事件を
どのように考えてきたかがお判りいただけると思う。刑事裁判で
禁固刑以上の刑罰を科せられたのではないから、退職金の支給に
は問題がないということなのだろうが、性的虐待による慰謝料請
求裁判で高等裁判所の判決が確定しても、退職金の返還を要求す
る必要がないというのは、慰謝料請求裁判が民事だから、法的拘
束力を持たないと考えているのだろう。しかし、日本の社会一般
の考え方はそうした考え方をしているだろうか。刑事時効が成立
してしまっているから民事裁判でしか争うしかなかったのである
ことは誰にでも判る。これが刑事裁判だったら、当然懲役刑の実
刑判決が出ていたことは明らかである。時として、平行して行わ
れている刑事裁判と民事裁判で、判決が分かれることがあるが、
極めて珍しいケースだから新聞やテレビでニュースになるのだと
いうことを耳にしたことがある。
高等裁判所の判決では、被害者の申し立てに対する加害者=原
田文雄司祭の反論はすべて退けられ、仮執行宣言付きの判決が出
された。被告(加害者)は請求されている慰謝料の全額と裁判費
用をすべて支払えという判決である。この判決は2005年3月
30日に高等裁判所から出され、被告(加害者)は最高裁に上告
したが、同年7月19日に上告は却下され(棄却ではない)、高
等裁判所の判決が確定した。退職金の支給を決定した理事会から
半年も経っていない時である。にもかかわらず、日本聖公会の管
区や主教会、あるいは女性問題に関わる委員会や正義と平和を標
榜する委員会は、沖縄の問題にはすぐに声明を出しているにも拘
わらず、京都教区での現職司祭による女児に対する性的虐待事件
そ京都教区の対応に関してはまったく沈黙している。そして、被
害者とその家族は、今でも苦しみを苦しみ抜いている。管区や主
教会も同じことだろう。沈黙は二次的加害行為にしかならないと
いうことを管区も主教会も理解すべきである。被害者とその家族
は日本聖公会の教会員だ。