日本聖公会京都教区にある聖光教会の関連学校法人である
学校法人聖光幼稚園の理事長・宮嶋眞司祭は、「原田文雄司
祭は、聖光幼稚園の園長時代は無事にその職務を全うしたの
だから退職金が支給されても問題はないし、それを決定した
理事会の議事録を学校法人聖光幼稚園の監事に見せることは
出来ない」と明言したという情報が入ってきた。この宮嶋眞
司祭は現在、日本聖公会京都教区の常置委員でもある。そし
て、「原田文雄司祭を終身停職にするつもりはないし、日本
聖公会の法規にある終身停職の規定そのものがおかしい」と
いう内容の発言をしていたとも聞こえてきた。教区の常置委
員が管区総会が決定した法規を批判し、その規定そのものを
批判し、その法規の規定を執行することはないと発言するこ
とは、近代法治国家の在り方を根底から批判し、その法体系
を無視することと同じことだということがまったく判ってい
ないようだ。
しかもそれを発言した後で、「これはオフレコにして欲し
い」と言ったそうだが、こうした発言を自民党の国会議員が
して、それが外部に漏れたとしたら、日本聖公会の正義と平
和委員会などはそれこそ「抗議声明」を出さないだろうか。
拙者の耳に入ってきているのは、これだけではない。宮嶋眞
司祭の発言の中には、管区総会の決議の権威を認めない内容
が含まれている。こうしたことは、日本聖公会の中では時と
して聞かれることがあるのだが、組織内部における法規の意
味やそれを決定する手続きを無視して、何かの責任を個人に
還元してしまうことになる。少なくとも管区総会が決定し、
主教会が承認した法規を批判し、それに則った発言や行動を
日本聖公会京都教区の常置委員がしないということは、明ら
かに日本聖公会の中で法秩序が崩壊していると言わざるを得
ないだろう。そして、もしこれが女性司祭按手に関すること
であったら、翌日には日本聖公会内で大問題になっているは
ずだ。
「傍若無人」という言葉がある。「傍らに人無きが如し」
という意味だと承知しているが、日本聖公会の中ではこれが
長い間罷り通ってきていることは、日本聖公会の関係者から
も耳にしたことがある。祈祷書の改訂の時も同じようなこと
があったということを耳にしているが、日本聖公会は日本と
いう国家の中で、当該組織が保持している「法」をどのよう
に理解しているのか。こうした法秩序に関する知識をまった
くと言っていいほど知り得ていないから、宮嶋眞司祭はまた、
「裁判記録を閲覧していないし、する必要もない」という発
言をしたのだろう。彼らは、主教や常置委員は日本聖公会の
法規だけでなく、国家の法秩序をもを超えられると考えてい
るのだろう。あの「高等裁判所・最高裁判所に抗議する」と
いう声明の意味がはっきりと見えてきた。高等裁判所の判決
や最高裁判所の決定などを無視できると考えているこうした
宗教集団を「カルト」と言うのではないのか。
彼らには、こうしたことが被害者とその関係者をどれだけ
苦しめているかということを理解出来ないのか。それが、被
害者とその関係者を排除することになっている状況を生みだ
していることがまったく判っていないのだろうか。そして、
あの「謝罪の記者会見」は単なるポーズでしかなく、原田文
雄司祭の懲戒をしてこなかった京都教区の姿勢がはっきりと
ここで見えてきた。原田文雄司祭の居所を京都教区は公開し
ていない。6年間もの間、少女に性的虐待行為をし続けてき
た人物を、今でも庇い続けているということの社会的責任の
大きさを、彼らは認識できていないのだろう。昨日の会見に
は宮嶋眞司祭だけしか出席していなかったそうだが、日本聖
公会京都教区は、あの会見での発言を宮嶋眞司祭個人の見解
だと言う可能性があるとも思われる。しかし、宮嶋眞司祭は
少なくとも日本聖公会京都教区の常置委員であり、学校法人
聖光幼稚園の理事長であることは間違いない。