<キリスト教カルトを斬る>というブログに、最高裁判所は
原田の上告を「棄却」したのか「却下」したのかをはっきりさ
せろという書き込みがあったそうだが、どちらでも大した問題
ではない。仮執行宣言付きの慰謝料支払い命令が出されている
のだから、上告しても却下される可能性が高いことを原田は知
らなかったのだろう。そして、何を根拠に上告したのか。最後
まで「冤罪」を主張するためのポーズだったのではないのか。
「棄却」であろうが「却下」であろうが、それを議論するなら
法曹界でやれ。拙者らが問題にしているのは、高等裁判所の判
決が確定しているにもかかわらず、高地主教達がそれに相応し
い対応をすることなく、嘘をつき、隠蔽工作をしていることだ。
それから、桂さんが昨年の主教文書を問題にしているが、あ
の中にはとんでもない嘘が書かれている。「被害者の関係者の
方は、『当事者でない者はどんなにでも騒ぎ立てることができ
るが、当事者はこの事件について考えるだけでもつらくしんど
い思いを持っている。流された文書を読んで励ましの手紙をく
れる人もいるが、それによってかえって家の中が暗くなってし
まう、、、』『審判廷への申し立て人の一人になってほしいと、
文書を流している人から頼まれたけれども、最高裁の判決も出
ていて、しかも審判廷はいわば教会の内輪の人間が行うのであ
るから信用できない。それで、申立人になることは断わった。
その方には1月中旬に手紙を書いて今までのことについて礼を
述べ、もらった文書類も返した』と最近語ってくださいました。」
これがまったく出鱈目であることは、被害者関係者の正式な
法的代理人の方が<被害者側代理人 公式ページ>で明らかに
されているし、「糾す会」は今までに何回も一斉メールでこの
主教文書の嘘を告発している。拙者が知っている範囲では、被
害者の関係者が返したのは、申立人になるための書類だけだっ
たのだ。そうした意味では、あの昨年1月29日の主教と常置
委員会の連名による文書の内容は確実に捏造されたものである
ことは明らかなことだ。それにしても、日本聖公会京都教区の
主教や常置委員会は何故このような文書を全国に配布したのか。
「隣人に関して偽証してはならない」(出エジプト20:16)
日本聖公会の主教は十戒をも超えることの出来る権威をお持
ちのようだな。恐ろしい耶蘇教の教派だ。
「殺してはならない。」「姦淫してはならない。」「盗んで
はならない。」も超えられ、「あなたには、わたしをおいてほ
かに神があってはならない」も「あなたはいかなる像も造って
はならない」も「あなたはそれらに向かってひれ伏したり、そ
れらに仕えたりしてはならない」も超えられるのだろうな。
それで、アメリカ聖公会ではレズを公言している主教がいら
れるわけなのだ。もしかすると聖公会の聖書にはモーセ五書が
載せられていないのかもしれないな。
高地主教よ、いい加減で目を覚ませ。
京都教区の信徒や日本中の日本聖公会の教会や関係団体に嘘
の報告書を出した責任をとれ。このブログにも既に2000回
近いアクセスが確認できている。日本聖公会の心ある司祭達よ、
声を上げよ。自分のパソコンからブログを作り、被害者とその
家族に対する慰めを語れ。誰がどこから書き込んでいるか、犯
罪性がなければ警察も調べることが出来ない。万が一、ある種
の手法で誰が書き込んだかが高地主教らに判ったら、それは明
らかに法律違反だ。実行犯は確実に警察に捕まるし、それを教
唆した者がいれば、そのもの達も逮捕される。そして、その背
後関係を調べ上げられる。
拙者がどこの誰かが判らないように、新しいブログを作った
者が誰であるかを調べることは出来ない。ブログ作成のメール
アドレスはウェブメールで十分だ。プロバイダーのメールを使
う必要はない。一人でも多くの者達が声を上げることが、被害
者とその家族を勇気付ける。