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新撰組局長 近藤勇 の世直し
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 中には、真剣に平和や平等を考えている聖職者もいるようだが

日本聖公会にはおかしな司祭がいることをまたまた、とあるとこ

ろで知った。昨日の夕方、上京する拙者に沖田が京都駅までそれ

を届けてくれたのだが、新幹線の中でそれに目を通して、開いた

口がふさがらなかった。いまの時代に、また徴兵制がしかれる可

能性があるようなことが書かれていたからだ。このことに関して

は、沖田もブログに書いているが、別の視点から現代の戦争を考

えてみる。


 基本的には、海に面しているそれぞれの国の領海は、基準とな

る線から12海里とされている。これが約22224mだという

ことを知っている人は少ないだろう。約22kmもあると考える

か、約22kmしかないと考えるかは、現代の戦争を考えるのに

は何の役にも立たない。この約22kmという数字を論理的に考

えなければ、領海12海里という数字を本当の意味で考えたこと

にならない。


 平均マッハ1.5(音速の1.5倍)で12海里を飛ぶことが

出来るミサイルは、発射されてから沿岸に到達するのに約45秒

しかからない。そして、12海里を平均マッハ1.5という速度

は現在のミサイルではかなり低い。つまり、領海外から発射され

たミサイルが、日本の沿岸部に到達するまでに、1分とかからな

いということなのだが、領海外の上空は領空ではないから、そこ

から航空機が対地ミサイルを発射することも不可能なことではな

い。ただ、22kmもの航続距離のあるミサイルを搭載すること

が出来る航空機がどうやって日本の領海ギリギリまで飛行してこ

られるかという問題もあるが、日本の上空に飛来している国籍不

明機の機種を考えると、少なくとも途中で空中給油しているであ

ろうと思える。


 いまさら日本で徴兵制をしいても、こうした攻撃に対しては何

の防御にもならない。パトリオットを発射するのは、一人で出来

る。ボタンを操作すればいいだけだ。迎撃ミサイルの運行に関し

ては、すべてコンピューターが計算している。そして、こうした

防衛用の兵器の操作は、しっかりとした訓練をうけた人間でない

限り、簡単に出来ることではない。こうした現代の戦争の実態を

考えることなく、「徴兵制」を口にするのは「似非平和主義」で

しかない。日本の隣国である巨大な軍事国家は、既に大陸間弾道

ミサイルを手にしているし、搭載できる小型の核兵器を完成させ

ている。人間が搭乗した人工衛星を打ち上げ、その人工衛星を回

収しているのだから、大陸間弾道ミサイルもかなりの精度を保持

していると考えられる。日本聖公会は、こうした現実を無視して

「似非平和主義」を標榜している聖職者がいながら、沖縄で何を

しようとしているのか。日本人の女性に対する米兵の性的虐待事

件には、声明文を出していながら、米軍の沖縄駐留に関しては何

の発言も聞こえてこない。おそらく、沖縄から米軍が消えたら、

日本の国防が音を立てて崩れるということを知っているからでは

ないだろう。「似非平和主義」のポーズでしかない、というのが

真実であろうと思う。でなければ、日本聖公会京都教区で起こっ

た当時は現職だった司祭による女児への性的虐待事案に沈黙する

はずもない。

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 明後日だそうだ。日本聖公会京都教区が被害者とそのご家族

との和解調停を裁判所に申し立てたので、明後日、地裁の支部

で開かれるそうだ。しかし、にわかには信じられないようなこ

とだ。主教や常置委員と、日本聖公会の信者である性的虐待の

被害者とそのご家族の和解調停を裁判所に申し立てたこと自体、

日本聖公会京都教区は既に、聖書に基づいたキリストの教会で

ないことを自ら宣言してしまった。これに関しても、キリスト

教界のジャーナリズムは記事にするだろう。そして、多くの神

学者がこの問題を話題にするに違いない。


 しかし、これで日本聖公会京都教区で起こったあの性的虐待

事案を即座に解決できなかった理由がはっきりと見えてきたよ

うに思える。ただ、誰もそれを口にしていないのは、確固たる

物証や証言が得られないからだろう。ただ、日本聖公会の教会

にはよくあることだそうだ。ただそれを、神学的な議論の中で

是正してこなかったのが大きな原因だろう。だから、日本聖公

会の多くの聖職者はそのことを知っているはずなのだが、誰も

それを口にはしてこなかったが、"Axis of Evil"と題した書き

込みをした京都の影さんはすべてを知っていらっしゃるのだろ

う。あれだけのことを隠しておけるはずもない。


 しかし、日本聖公会は何か勘違いをしていないだろうか。英

国国教会系のアングリカン・コミュニオンに属している教会に

は法律は適用されないとでも思っているのだろうか。そう思え

るほど、様々なところで問題になっていることを、教区が高圧

的に押さえ込んでいるように見えることさえある。幼稚園への

補助金で礼拝堂の椅子を購入したことなど、ある意味では微々

たることのように見える。まるで、松本清張の小説にでも描か

れていそうなことが起こっていないだろうか。人間は、富と権

力を持つと何をしでかすか判らないことが多いが、それを教会

の中で起こしていたとしたら、最早そこは、キリストの教会で

はあるまい。


 そして、情報統制はものの見事に成功しているようだ。京都

以外の教区の信者さんで、この重大な事案を知らない方々がい

るという。しかも、明後日開かれる調停は、日本聖公会が教会

ではなくなるということを意味していることなど、まったく知

らされていないのだろう。そもそも主教が調停を申し立てたこ

と自体、主教自ら神学的自己破産を宣言したことになるのだが、

こうしたことを各教会の司祭がどれだけ信者さんに説明してい

るか、あるいは、説明しているのかどうか、それさえも疑問な

のだが、明後日は、日本聖公会京都教区のレクイエムの鐘を日

本中で鳴らすといい。このまま調停が開かれたら、確実にそれ

は日本聖公会自身の崩壊を意味することになる
 


> 【投稿】   一受信より、2010年4月27日
>
> 日本聖公会京都教区主教・高地敬主教は、裁判所に調停を
>
> 申請したことによって、既に、自らが教区主教であること
>
> を放棄したと考えられます。教会は、国家の裁判所をも越

> えて出来事を判断しなければなりませんし、歴史上の教会
>
> の多くはその道を歩んできました。
>
>  日本聖公会の管区や主教会がこのことに気が付いていな
>
> いはずがありませんが、それでもなお沈黙し続けていると
>
> すれば、 主教会自身もまた自らが主教(アポストロス)
>
> であることを放棄したとしか考えられません。
>
>  裁判所の調停は日本の法律に基づいた調停の場ですが、
>
> しかし、教会の中での和解はそうした国家の法律によるも
>
> のではなく、キリストの福音に根ざしたものでなければな
>
> りません。正にそれは、愛(アガペー)の御業がこの世で
>
> 成就することです。
>
>  高地主教の文書の中の”ウソ”を指摘するまでもなく、
>
> 調停申請そのものが、高地主教自らがその職務を放棄した
>
> ことにしかならないと考えられます。これは日本聖公会に
>
> 限らず、キリスト教会であれば、聖書の御言葉からすれば、
>
> どの教派にも言えることだとかんがえています。調停申立
>
> を取り下げない限り、日本聖公会京都教区は、キリスト教
>
> 会であることを放棄したとしか言えないのではないでしょ
>
> うか。


 このメールは「糾す会」が発信した、「糾す会」への投稿

であろうかと思われるが、今朝になって、拙者の所に転送さ

れてきた。誰が書いたのか、おおかたの見当は付くが、ここ

まで書けるからには、一般の信徒でないことは誰でも判る。

そしてその内容に関して、拙者も同じことを考えている。日

本聖公会京都教区主教が、こともあろうに被害者との和解を

裁判所に調停を申し出たことは、ある意味で前代未聞のこと

だ。被害者が日本聖公会の教会員ではないのならば別だが、

被害者は間違いなく、堅信礼を受けている日本聖公会の信徒

だ。そのご家族も信徒だ。そして、日本聖公会の主教は原則

として、教区内の信徒を司牧する。だとしたら、聖職者が信

徒との和解を、裁判所に調停を依頼するということなど、キ

リスト教会史上あったと考えているのだろうか。


 日本聖公会の主教になるためには、日本聖公会もしくは、

「アングリカン・コミュニオン」にある司祭でなければなら

ないはずなのだが、司祭は管区の聖職試験に合格しているは

ずだから、京都教区の主教もその聖職試験に合格したのだろ

うが、日本聖公会ではどのような試験をしているのだろうか。

おそらく、京都教区主教は、この裁判所への調停申請が持っ

ている、教会として重大な過ちに気が付いていないのだろう。

あるいは、主教は何をしてもいいという、大変な誤解をして

いるのかもしれない。これは、日本聖公会の教区が勝手に判

断したことなのだろうか。日本聖公会の主教会や管区も了承

したことなのだろうか。このことに関して、今日の午後、天

狗と話をしたが、天狗も「信じられないことだ」と話してい

た。日本聖公会では、教会と国家の関係に関して議論してこ

なかったのかもしれないが、あまりにもお粗末すぎる。


 イギリスの国教会では、祈祷書を改訂するにも国会の決議

がいるから、日本聖公会はそれと同じように考えたのだろう

か。しかし、日本聖公会は日本の法律で宗教法人になってい

る日本の教会なのだ。そして、日本聖公会もまた靖国神社に

関して、それが国家護持されることを反対してきたのではな

いのか。そう言えば、あの性的虐待行為を女児にしていた司

祭は、在職中に自民党の候補者の選挙事務所に幼稚園の教諭

を手伝いに行かせて起きながら、あの地区の「九条の会」の

設立総会でスピーチをしたそうだが、教会と国家の問題など

考えたこともないのだろう。「糾す会」は日本キリスト教協

議会(NCC)に、裁判記録のメモを送ったらいい。NCC

の議長は、いま日本聖公会の司祭がしている。だから、それ

に対する対応次第では、NCCレベルで問題になるだろう。

戦争と平和や女性の人権に対して、NCCはかなり積極的に

発言してきた。


 日本聖公会は裁判所への調停申請で、自ら暗闇の中に迷い

込んだことになる。司牧者がその信徒と和解できずにいるこ

とを管区も主教会も放置したことになるだけではなく、国家

にそれを依頼したのだから、自浄能力がないというレベルの

問題ではないだろう。日本聖公会がキリストの教会であるこ

とを止めるのか否か、という問題なのだが、管区や主教会に

それが考えられるだけの神学的一致があるかどうか。正に、

この抱腹絶倒の出来事を彼らはどう解決するつもりなのか。

PTSDを発症している被害者の思いを彼らはどう考えるの

だろうか。まさか、「伝統あるイギリス国教会系の」日本聖

公会は、国法など無視していいと考えているわけではあるま

いが、結果としてそう考えていることになりはしないだろう

か。腹を抱えた手が、怒りに震えてくる。

 


 昨夜は、初めて天狗の東京分室とやらに泊まった。そして、

風来坊とTERAさんも来ていた。初めて判ったのだが、風来坊

は拙者の義弟を知っていた。前から気になっていたのだが、

義弟と同じ大学の研究室にいたことが判って、「いいたい放

題」に書かれている内容が内容だけに、何故あのようなこと

が書けるのかよく判った。そして、最近になって転送されて

きたメールの内容を検証した。


 まず第一に、日本聖公会京都教区の顧問弁護士なのか、そ

れとも、誰かに紹介された弁護士なのか判らないが、彼らが

相談している弁護士は教会のことをまったく知らない人物な

のではないかということだ。それはそれで、弁護士の資質に

関わることではないから問題ではないのだが、教会の内部で

致命的な問題になっている司祭による性的虐待事案を、法律

的にではなく、信仰的・神学的に考えることは、クリスチャ

ンではない弁護士に、信仰的・神学的議論が出来るかどうか

ということに大いに疑問がある。


 と同時に、あの性的虐待事案が表沙汰になって以降、日本

聖公会京都教区が公式の立場で行ってきた判断に関して、法

的に考える前に教会的に信仰的に考えることを、クリスチャ

ンではない弁護士に相談することによって、日本聖公会京都

教区は回避してしまっている。キリスト教の聖職者による性

的虐待に関しては世界中で問題になっているが、それらは司

法の中で問われているケースもあるが、教会としてその性的

虐待をどう考え、どう対処すべきかを真剣に考えてきている

様に見えるが、日本聖公会京都教区では性的虐待そのものの

罪悪性さえ見抜けていない。それは、加害司祭が病院で土下

座して謝罪したのを目の当たりにしていながら、加害司祭の

「事実無根」という言葉だけを根拠に、最高裁判所が上告却

下を決定したあともなお、「冤罪」を主張したことに対する

反省の言葉はあっても、被害者やそのご家族に対するその後

の対応を見ていると、実質的には、反省などまったくしてい

ないということが見えてきている。


 それだけではない。日本における社会的通念を無視する形

で、日本聖公会京都教区は学校法人の幼稚園から加害司祭に

退職金を支給することを是認している。その額は、最高裁判

所の上告却下によって確定した高等裁判所の判決にある慰謝

料の金額と裁判費用を合計したも金額にほぼ等しいという。

そして、この金額のお金が加害司祭の銀行口座に振り込まれ

たという。そして日本聖公会京都教区は、こうした一連の極

めておかしな対応に関して追求し始めた人々を、何とかして

被害者とそのご家族から引き離そうと躍起になっている。こ

れを先頭に立ってしているのが、2007年11月23日に

「常置委員会特別報告を受けて」という文書を日本聖公会京

都教区の定期教区会で配布した京都教区のK主教自身である

ということだ。彼はあの文書の中で、前任の主教とその他数

名の司祭に対して「聖餐式執行自粛を勧告」している。


 にもかかわらず、京都教区のK主教は、それ以後も被害者

とそのご家族に対する教区としての責任を回避し続けてきた。

それだけではない。「屁理屈」とも言えないような非論理的

は理由で加害司祭を審判廷にかけることを回避し、「一身上」

の理由で依願退職しようとした加害司祭の退職願をそのまま

受理してしまっている。日本聖公会法憲法規のよれば、加害

司祭は職務執行停止になっていない。そして、その後、加害

司祭は日本聖公会を「離脱」し、その離脱に関して、日本聖

公会京都教区は拒否する声明も、退職司祭は主教の許可なく

サクラメントを執行しないようにという、法憲法規に則った

声明も公布していない。ただ、前記の「常置委員会特別報告

を受けて」という文書に、「実質的な終身停職を貫くために」

という表現が見られるに過ぎない。加害司祭は、だから、司

祭として、結婚式場などで結婚式を司式することが出来る。

あるいは、「開拓伝道」と称して、教会を設立することも可

能だということになる。しかし、日本聖公会京都教区はこう

した事態をいつまで放置しておくのか。端から見ると、日本

聖公会京都教区には、日本聖公会京都教区を教会の歴史と伝

統に則って考える能力は皆無のように見える。


 


 TERAさんがブログのコメント停止を解除して下さった

ことを感謝します。明日にでも、パスワードを変更した

いと思っています。今日は、また東京日帰りでした。


 日本聖公会京都教区はどうしているのだろう。あれだ

け無茶な審判をしたことを少しも悔いていないのだろう

か。拙者は、あそこで時効を持ち出すとは思ってもみな

かった。おそらく、はじめから「時効」で逃げるつもり

だったのだろう。信徒よりも聖職を守ってしまったのだ。

これを「教会の権威」というのであれば、日本聖公会京

都教区は悪しきアングリカニズムの権化だ。


 被害者は、加害行為があったときではなく、その後に

何年も経ってからPTSDを発症している。こうしたこ

とはよくあるケースだ。だから、PTSDが発症した時

を時効の起算日とすべきだという意見がある。そうした、

極めて常識的なことを知らないのだろう。主教の判断が

そのまま神の言葉になるとでも思っているのだろうか。


 もういい加減で日本聖公会京都教区は目を覚ませ。誰

を大切にしなければならないかということに気が付いた

方がいい。そして、誰がどのような形で責任をとらなけ

ればならないかということを、常識的に考えて欲しい。

そして、日本聖公会の他の教区も、真剣に京都教区のた

めに祈って欲しい。被害者を救済するという一番大事な

ことを忘れている京都教区のためにだ。でないと、これ

から先に同じような事案が起きたときに、収拾がつけら

れなくなる。児童に対する性的虐待は、極めて重大な犯

罪だということを日本聖公会京都教区に知らしめて欲し

い。もはや、被害者を救えるのは、他教区しかないよう

に思えてきた。

 

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